~幼少期~
1970年大阪府守口市で大工の次男として生まれる。
小さい頃は野球少年の父親っ子で仕事から帰ってくる大工さんの父の木のいい香りが大好きでした。
自宅前の木材加工場で遊び、工事現場にも父について行ったりしました。
私立中学校に推薦されるが、昨年家を購入したばかりで家にお金が無いのを子供ながらに察し断念する。
この辺から私の人生に家にまつわる因縁が・・・
地元中学では お笑い芸人の中川家のお兄ちゃんと同じクラス 1年上に ますだおかだの増田さんと同じ学校でした。
私立高校や大学の学費は我が家では賄えそうにないので地元中学卒業後父が大工と理由だけで
大阪市都島区にある都島工業高校建築学科に入学し建築の世界に入りました。
そして大工の父と同じ建築の仕事に就こうと決める。(決断早過ぎたかな???)
~サラリーマン期~(ハウスメーカー)
高校卒業後ALCメーカー日本イトン工業(現クリオン)の東京本社にて勤務し、
昼は鉄骨ALC住宅の設計及び施工管理業務をしながら夜は大学にて学び在学中に
二級建築士・施工管理技士・測量士補などの資格を5つほど取得。
また、年間100万円近くする学費捻出の為に夜学終了後深夜のアルバイトを決行。(ホテルの閉店後に厨房の掃除など)
平均睡眠時間4時間を経験した苦学生でもある。(見かけによらず結構苦労人なんです。でも眠かったなぁ~(^^;))
24歳で卒業後 勤務先の早期退職制度に応募し、大手ハウスメーカー住友林業(株)に就職する。
入社時に消費税が3%から5%に上がるハプニングに合うも順調にノルマをこなす住宅営業マンに成長。
(2年目には年収900万円。貰い過ぎと思いませんか?(^^;))
当時個人の大工業だった父が私の営業センスならと一緒に工務店をしようと誘われるが
個人経営の工務店で家を売る自信が持てなかったので断る。(^^;)
そして住友林業在職時に大阪での勤務を希望するも叶えられず 三井ホーム(株)に転職し南大阪支店に配属。
入社当初は売り方の違いで苦労するが予想通り高額物件の受注も出来てようやく売り方のポイントを掴み連続受注(^^)
しかし、三井の学歴重視の社風が合わず将来の事を思い1年で退社する。
ハウスメーカー営業マン時代に担当したお施主様には辞めてしまって申し訳なく思っております(><;)
~サラリーマン期~(建材メーカー)
住宅営業マンは体力勝負なので50代でも出来る仕事且つ能力主義の会社に転職しようと
30歳で住宅建材総合メーカー トステム(株)(現LIXIL)に転職する。
住宅ではなく住設メーカーの営業マンとして工務店さん廻りの仕事をしながら工務店経営や建築資材の流通を学び
関西セールス1位や連続ノルマ達成など 住宅以外でも販売していける自信を持ち営業職の楽しさを改めて認識する。
そこで、ハウスメーカーを辞めた原因の1つである『今月売ったら来月は違うお客様へ』流れ作業的な仕事と違い
地域に愛されているある工務店社長の姿を見て一生掛けるならこの仕事だともう一度住宅建築の職種に戻ろうと決意する。
お客様不在の大手ハウスメーカー東京本社主導による住宅販売。住宅営業マンの今月ノルマ達成の生贄にされている
お施主様を救う為に他社との比較や住宅業界の裏話を交えながら時間が掛かってもお客様のペースで進める商談の実践。
大手ハウスメーカーでの経験とトステムで習得した高気密高断熱のノウハウを詰め込んだ理想の家創りをご提供しようと
平成18年6月に将来の独立を見据え資本金300万円でファミリエ住研株式会社を設立。
当時は個人大工業であった父を棟梁から社長にしてあげたいと思い代表取締役に就任させる。
(なんとなく親孝行をした気分(^^))
平成19年36歳で上場会社(JASDAQ)松本建工㈱の子会社でマクロホーム㈱大阪支店
開業責任者を任せられるチャンスを機にトステムを退職
~マクロホーム~ 苦難の船出
北海道で有名なFPの家でしたが関西の地での認知度はほとんどなく更に新しい会社で建築しようという冒険心のあるお客様もいなく
(現実は厳しかった)・・・1年目は苦労の連続で専任の営業マンと監督は辞めて行き ついには私1人になる。
FPの家のよさを伝えるには自ら住まないといけないと言う理由で無謀ながら分不相応の自宅をFPで建築する。(事務所併設し経費も削減)
また、営業マンに任せていた販売も当然全て行う事になったが・・・自ら営業しなんと奇跡的に1ヶ月で2棟の契約する。
住宅の快適さを言葉で説明する事は難しいが・・・きちんとFPの良さをお客様に理解して貰えば必ず売れると確信する。
その後順調に『FPの家』を受注。工事監督や事務スタッフも増えて忙しくも楽しい時間が流れる。
しかし また試練が訪れる・・・予期せぬ親会社(松本建工)の破綻(民事再生)。
当然子会社であるマクロホーム㈱も事業継続を断念。
私は支持してくれたお客様にご迷惑を掛けたくない一心で事業を継続する決意をし完全独立。
3年前に作っていた父の会社に社員と共に移籍し資本金1000万円に増資する。
そしてこの危機を乗り越えるために父と交代して代表取締役に就任する。
OB様から『マクロさん』と呼ばれ親しまれていた為に社名をマクロホーム株式会社に変更する。
FPの家 譲渡先は外装メーカー ニチハ(東証一部上場)に決定したものの、移行期間の前後は風評被害などに合う。
単独モデルハウスを売却し自宅をモデルハウスとして公開し更なる経費削減を実行。
しかし資料請求は1年間に3通のみ。もうFPでは駄目かも (続く・・・)
~マクロホーム~ どん底からの軌道
厳しい経営環境でしたが暖かいOB様よりリフォーム工事等をご紹介を頂いたりしながらなんとか事業を継続させる。
また自分の給料だけでなく従業員の給料を稼ぐ為に某FC系ハウスメーカーの店長としてスカウトされ
不採算店立て直しの為毎週金土日の週末3日間は三重県伊勢市まで通い月給40万円を確保すると言う無謀な生活
(大阪のマクロホームとの2重生活で深夜に車通勤し毎週1日は徹夜する日々に突入)
そんな生活を半年ほど続ける。(眠いし夜中の山越えなので超危険!!)
そして平成21年長期優良住宅制度が始まり省エネ・長寿命な住宅へ国の政策が始まると(量より質:性能)
耐久性や耐震性の高い高気密高断熱住宅のパイオニアであるFPの家が注目される。
発売27年間で全国45,000棟の歴史と実績は業界NO1と言うことで弊社へも問い合わせが急増する。
このまま2重生活を続けていては大阪でのお客様に迷惑を掛けるので某FC本部や伊勢店に別れを告げ
マクロホームのみに再シフトしこの年は売上1.8億円を達成する。(某FC店様・お客様ありがとうございました。)
その後も住宅性能にこだわりFPの家にプラスして弊社だけのオリジナル仕様や構造の改良、
更にお客様へ100万円や200万円の国土交通省などからの補助金の活用提案も積極的に行い
ハウスメーカーでは教えてくれなかったと感謝されじっくり設計が決まって納得してから契約と
強引でない営業スタイルも評価され高性能FPの家の販売を順調に伸ばす。(TOP 新聞記事)
~マクロホーム~ 再度厳しい環境へ
平成22年に不動産業の免許取得(私も宅建免許を取得)弊社にて建築予定のお施主様の
現家売却や土地探しなどワンストップでお施主様の相談に乗れるようにしました。
平成24年には兵庫県三田市に不動産&リフォームの拠点としてマクロホーム三田支店をOPEN
2府県にまたがるので不動産業を国土交通大臣免許を取得し営業を開始しております。
今後の新築減少に備えリフォーム事業拡大の取り組みとしてこれまで個人契約のみでしたが
大型スーパーで有名な(株)イオンリテール様と弊社初となる企業間の業務契約を締結しました。
平成26年にはFP会員歴が浅いながらも実績が認められFP関西グループにて副会長に就任
そして注文住宅だけでなく初めて分譲住宅事業にも取り組みました。
近年住宅業界のトレンドが高気密高断熱へシフトしハウスメーカーの一条工務店さんが
注文住宅着工数NO1となるなどし時代は高気密高断熱が当たり前のようになって来ました。
猫も杓子も全ての住宅会社が自社の住宅は高気密高断熱だと宣伝しだすと(その性能は?)
高気密高断熱パイオニアで実績30年を超えるFPの家が宣伝不足で急激に着工数を落とす事になります。
弊社もFPの家メインにしていたので当然煽りを受け失速し リフォームの方が売上が多い年が続きました。
バタバタとFPグループ会員が退会する事態になりましたが、弊社は10年以上高気密高断熱を続けてきたので
今更ローコスト住宅に変換する訳には行きません。もちろんFPグループも続ける事を決心しました。
とは言え大手ハウスメーカーのように宣伝広告費も掛けれないのでホームページ改革で
ローコストメーカー以外での住宅価格を詳細に公開したり建物仕様を細かく写真付きで公開しました。
高気密高断熱をうたう会社でも気密数値などは公開していませんでしたがそれも全て公開しました。
しかし小さな工務店のホームページ改革など誰も気に掛けてくれるはずもなく・・・このままでは(続く)
~マクロホーム~ 新たなチャレンジ
FPは断熱パネルだし高気密高断熱はどの部屋も暖かく涼しく温度差なく・省エネ・結露がなくて快適ですが、
住んでみなければわからないと言う欠点もあり、目に見えるデザインや木質感も重要ではないかと
平成29年デザイン性の高い住宅の販売も出来るようにチャレンジしようとBINO&FREEQ HOMES新規加盟しました。
やはり建物コンセプトが決まっていて外観がおしゃれで内装は木質感たっぷりの住宅が評判悪い訳ありません。
開放感のある建物なので弊社は独自に標準仕様を断熱強化して販売する独自の取り組みをしています。
モデルハウスが完成するまでに2件着工し平成30年1月に川西市緑台にモデルハウスをOPENしました。
そういう取り組みが功を奏したのか平成29年は会社設立以来 初めての新築10棟を達成する事が出来ました。
リフォームも継続してやっているのでそちらの売上も好調でした。
私が営業と現場の両方担当しているので契約後から完成まで後方支援してくれるインテリアコーディネーターなど
STAFFを増員しお客様にストレスなく家づくりを楽しんで貰うような体制にしました。
三田支店も5年を経過し国土交通大臣免許も(2)を迎えて三宅支店長の元で益々業績を伸ばしています。
STAFFが増えても小さな会社なので和気あいあい。今後どんな会社になって行くのか楽しみです。
~マクロホーム~OB様との交流
建築後のお施主様との繋がりも大切にしたいとOB忘年会と称して年に1度
OB様向けお客様感謝祭を2011年より毎年開催しております。
建てた後の点検以外にもこうした接点を持つことで実際住んで頂いてからのご意見が聞けたり
新しい住宅づくりの参考にさせて貰っています。
ちょうどタイミングが合えば弊社で検討してくださっている方もお招きして直接OB様の住まい心地や
弊社の建築中やアルターフォローの対応など直接聞いて貰っています。
最近参加されるOB様の人数も多くなってきたから費用も大変ですけど・・・(^^;)
お客様感謝祭なので当然無料です。 小さなお子様も一緒に年末の日曜日の夕方に
ご家族で参加頂いております。(強制ではありませんので無理に参加されなくても大丈夫)
家は建てたら終わりではありません。弊社でご建築頂いた家のかかりつけ医のような
『町のホームドクター』的な存在でいられればと・・・生意気ながらそう思っております。
目に見えない箇所ほどいい材料や職人の質にこだわるちょっと頑固な所もある
小さな工務店マクロホーム㈱ですがどうぞよろしくお願い申し上げます。(^^)
建売住宅と違い何もない土地に理想の家を建てる注文住宅
もちろん施主の好みで好きに建てられる訳ですが、多くの施主は業界経験者でもなく素人の方が大半です。
住宅建築は設計・施工にインテリア・奥様や子供等の家族の意見・建築コスト面など検討事項は実に多岐に渡ります。
土地からなら不動産知識も必要になります。もちろん建築業界でなく不動産業界の事も知らないと良い土地は手に入りません。
そんな事を仕事をしながら どれだけ勉強しても私たち毎日仕事で経験しているプロ域には到達出来ません。
ですから成功の早道は自分が知りたい知識の信頼できる専門家を味方に付ける以外にはありません。
そして大手ハウスメーカーの新入(20代)営業マンがそうであるかは? 想像するだけでも・・・だと思います。
私は高気密高断熱住宅に10年以上住み35年もの間 建築業界に身を置き住友林業・三井ホーム・トステム(現LIXIL)とハウスメーカーや建材メーカーも経験し小さな工務店(兼不動産会社)の社長としてお施主様に有意義な情報と共にお味方になります。
中国の有名軍師である諸葛亮孔明や武田信玄の軍師 黒田勘兵衛とまでとは言いませんが、
令和2年で50代に突入する住宅業界及び高気密高断熱に精通した私になんでも聞いて下さい。(後悔はさせません。)